明倫館に祀られていた木主


 左から順に鄒國亜聖孟子、鄒國守聖曾子、大成至聖文宣王孔子、兗國復聖顔回、沂國述聖子思の木主です。孔子の木主は高さ157.3cm、幅65cmとかなりの大きさです。他の四つは高さ90.6cm、幅33.1cmです。厚さはいずれも3cm程と薄いものです。この五つの木主は当時明倫館の聖廟内にありました。

 明治以後は聖賢堂等に保管されていたようですが、最近明倫小学校本館の資料室に移されました。文字は江戸昌平黌(しょうへいこう)の林大学頭信篤(林鳳岡〔はやし ほうこう〕)の書いたものを持ち帰り、萩で彫刻したものです。同一の筆による木主は昌平黌と明倫館にありましたが、昌平黌のものは関東大震災で焼失してしまいました。

 聖廟では五牌の木主それぞれが厨子の中に安置されていました。その厨子は散逸してしまい、市内海潮寺の位牌堂に安置されていた三個の厨子だけが残り戦後明倫館に移されました。(参考:明倫小学校百年史)


◇そもそも木主とは

 原始の儒教は、もともとイタコのようなシャーマニズムでした。儒を行う人々は、祖先を崇拝し再生させるために、死んだ人の命日にその人の骨を尸(形代・カタシロ)にして、そこに魂を憑依させるという儀式を行ったそうです。
 より具体的には死んだ人の頭蓋骨を用い、それを生きた人間(孫が良いらしい)の頭にかぶせます。これを尸として、そして匂いの強い香を焚き、香り高い酒を地上に注いで、魂を招くのです。こうした儀礼を続けるうちに尸の頭蓋骨はマスク(魌頭・キトウ)に代わり、やがて尸自体が木の板となり、そしてこの木の板が神主、あるいは木主といい、死者の骨の代わりに祭られることになりました。ちなみに、この木主が仏教にとりいれられると位牌となっていきます。