◆藩校の概説(『日本思想史辞典』ぺりかん社)による


 藩校は藩士とその子弟を対象とした江戸時代の藩直営の教育機関です。
狭義には儒学(漢学)を学ぶ学校を指しますが、広義には武芸・医学・洋学・国学も藩校という。
 藩校は江戸時代に300校近くが設立されたが、それらは大まかに3つのグループに分けられる。

@近世前期(享保以前)に設立したもの。
藩校はまだ一般化しておらず、好学な大名が個人的に設立した。従って、藩主が代替わりすると
殆どが沈滞、廃絶した。思想的には多くは朱子学によっており、形態的にはさらに以下の3つに
分類される。

・聖堂設立を契機とする聖堂型藩校、
・藩主らへの講釈のための講堂に始まる講堂型藩校
・儒者の家塾・私塾への保護を契機とする家塾型藩校

規模は狭小簡単、儒学1科が講釈中心に行われた程度で藩士一般には普及も定着もしなかった。
最古の藩校は寛永年間、名古屋藩主徳川義直によるもの。
他に会津藩保科正之による稽古堂、岡山藩池田光政による石山仮学館など。

A近世中期(享保〜文化)
藩校開設が本格化。
藩官僚・藩士の育成・意識改革、やがては一般民衆の教化までを含めて、藩政改革の一環として
設立されるようになった。
経世論を得意とする徂徠学や折衷学によることが多かったが、寛政前後から民衆教化を重視する
正学派朱子学がより普及した。
萩藩明倫館はこのグループに属する。他には米沢藩興譲館、金沢藩明倫堂、和歌山藩学習館
佐賀藩弘道館、熊本藩時習館、薩摩藩造士館など。また、会津藩日進館、仙台藩養賢堂、名古屋藩
明倫堂など、沈滞していた近世前期の藩校が拡充再興された。明確な理念を掲げ、実用的科目と
カリキュラムをそなえ、藩士就学は必須という考えが浸透していった。

B近世後期(文政〜維新期)
社会変革期にあたり、身分を越えた政治の実践主体の育成と実用技術の修得が求められ、中小藩
への藩校の普及と改革が続いた。洋式の軍事や科学技術の摂取が進んだが、儒学が放棄されるこ
とは無く藩士子弟の入学強制と入学の低年齢化が進んだ。
この時期の藩校としては天保期開設の水戸弘道館がある。

総じて藩校は時代状況の領主的対応として存在した。
本来の教育対象は藩士子弟であったが、多くの藩校では庶民の聴講も認めた。
しかしそれは民衆教化のためであり、教育機会の平等化に向かったものではなかった。
また萩明倫館のように明治の教育機関の母体となった藩校も多い。