瀧鶴台の墓 



  山縣周南の墓のある保福寺の隣に享徳寺という大きなお寺があります。この享徳寺の離れの墓地には、瀧鶴台の墓があります。彼は周南に次いで萩藩の誇る大儒です。
 享徳寺には一応墓地があり、津田東陽らの墓がありますが、鶴台の墓の在るこの墓地は少し離れた場所にあります。享徳寺から道路を挟んで向かい側に海潮寺があり、さらにその海潮寺の向こう側、道路を挟んで向かい側の墓地に鶴台の墓が在ります。

  中央にあるのが、大正になって建てられた顕彰碑です。 

  顕彰碑の向かって左手に有るのが鶴台とその妻世良氏の合葬墓です。鶴台の妻は赤い鞠と白い鞠の話でとっても有名。


  顕彰碑の向かって右手には鶴台の子孫である瀧高渠、瀧九華、瀧墨華の合葬墓があります。

 鶴台の墓の裏側には渋井太室撰の墓碑が刻まれています。しかしあまりに苔がむしており、とても読めません。本気で読もうとすれば、まさに「掃苔」をせねばならないでしょう。
 なお、鶴台の交友関係はこの渋井太室や細井平洲、服部南郭、上杉鷹山など当代の多くの著名人に及んでいます。

 享徳寺の住職の語るところによると、鶴台の子孫は日本からいなくなってしまわれたそうで、このお墓もほぼ見捨てられてしまったいるそうです。鶴台に興味のある奇特な方、おられましたら私と一緒に樒の一本でも供えませんか。丁度、墓地の側にはしきび屋さんもあります。
 

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