近代の明倫
あまり目立たない明倫小学校西門付近。明倫小学校校長や初代萩町長を務めた中村雪樹の顕彰碑があります。時の陸軍大将田中義一の筆によるものです。
中村雪樹 初名、昌蔵 のち誠一 字、子彬 号、栗軒
萩藩世子。夙に心を文武に注ぎ、兵学を吉田松陰、漢学を吉松清蔵、和学を近藤芳樹に受く。長じて東都に遊び羽倉簡堂、安井息軒に贄を取り、又水戸の会澤正志斎について研鑚し業成り帰国官に就く。安政以来代官役、政務座役、蔵元役、撫育方頭人等歴任。維新の際、山口政庁にあり枢機に参画した後権大参事と為り、復古の業を周旋する。後に致死して故山に帰り専ら育英のことに任じ又初代萩町長に選ばれる。病を得て辞職した後東京に出て毛利家の編纂事務を執り明治二十三年九月二十三日病没年六十。明治四十四年、六月従四位を贈られる。
裏側には碑文があります。
また、その近くには同じく明倫尋常小学校校長を務めた安藤紀一の顕彰碑もあります。彼は郷土史家として著名で、吉田松陰全集の編纂者でもあります。
安藤紀一の写真。明倫所学校本館(第一部)の会議室に飾ってあります。
ちなみにこの写真の左下には筆者の町内の町内会長さん(元校長)の写真があります。
偉い先生方の写真が多くならんでいますが、妙な親近感が沸いてきます。
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