瀧長�ﾄ事跡概要　完 　本テキストは安藤紀一氏（郷土史家・元明倫小学校校長）の著したものをネット上で閲覧できるように編集したものです。著作権が切れたことを確認してあります。 仮名遣い、句読点は必要に応じて適宜現代風に直しました。 （五）が二つあるのは原文のままです。 瀧長�ﾄ事跡概要　完 緒言 今茲四月萩町当局者が県の内意を承けて地方先輩の功労の表彰すべきものを調査せらるることあり。未だ一回も表彰せられざる者の中にて瀧弥八中島治平二氏は吾が年来調査せしものあるを以てその材料を乞はるるままに自撰の二氏年譜中よ要を摘みて之を録呈したりしが爰に十一月即位の　大禮を行はせらるるに方りて贈位の恩典を蒙れる百六十八人の中に此二人も加れり顧ふるに二氏は学問行事著しきにも拘らず従来未だ伝記として見るべき成書の世に行はるるものあらず。吾が研究の筆録は微々たるながらも実に其の編成の始なることは自ら信ずる所なり。 聖天子明徳下に徹し幽潜も遺したまはず。二氏における贈位の典の如きは固より学行顕耀自ら史館の簡さくに存録せらるるの致すところなりと雖も萩町の上申効を見るに因りて、吾が平生研究せし所適郷先輩表彰の盛事の万一に貢献を為したるが如きを思えば、中心密に欣悦に堪へざるものあり。乃ち町当局者に録呈せし所に基づきて稍其体裁を改め以て同好の士の参考に彼の中島氏事績概要を述ぶると同時にここに瀧鶴台事績概要を録す。瀧氏の年譜は是まで家に蔵めて多くの人に示さず。記述繁にして読者をして要領を得しめ難ければなり。瀧氏事績は此の概要を一読せられば余に於て足れり。 昭和三年十一月十五日　　安藤紀一　誌す。 瀧鶴台事跡概要 舊長門藩儒員　瀧鶴台名は長�ﾄ、通称弥八　号鶴臺 （一）家系 父　　瀧養正　藩医なり。引頭氏の子を養ひて嗣となす。これ鶴臺なり。 子　　鴻之允　父弥八の儒業を継ぐ。 孫　　茂太郎　鴻之允の子なり。　儒業を継ぐ。 曾孫　茂兵衛　茂太郎の養子なり。瀧氏の儒業、此代にて終る。 玄孫　弥太郎　茂兵衛の子なり。明治維新前より國事に奔走す。正六位に叙せらる。 当代の主標之介弥太郎の子なり。 （二）瀧鶴台一生事歴の梗概 宝永六年月日不詳、長門國萩の引頭氏の家に生る。幼名亀松。長じて名を長�ﾄ、通称を弥八といい、鶴臺と号す。幼にして学を好む。藩医瀧養正、その敏材を聞き養いて子となす。 享保七年、十四歳藩学明倫館に入る。 享保十五年、二十二歳周防國右田の学校時観園の教授となる。右田は藩の公族毛利氏の領邑なり。翌年江戸に赴き、服部南郭に従学す。其のまた翌年京師に遊学す。 十八年、 萩に帰る。 享保十九年、二十六歳右田に赴き邑主毛利氏の家政に預りて兼て時観園の教督に当る。是年邑の世良氏の女を娶る。貞淑の聞えあり。 宝暦八年、五十才長崎に遊び諸学士と交る。 宝暦十年、五十二歳江戸に赴く。江戸にて細井平洲、秋山玉山、渋井太室等と交わる。翌年始て藩主毛利重就公に謁す。尋て藩の一代儒者と為り毎年米二十五俵を給せらる。 宝暦十二年、五十四歳藩世子君の侍読となる。 宝暦十三年、五十五歳朝鮮通信使と筆語唱酬する。是年藩主重就公租外に収入せる金穀を貯蓄するの法を立つ。鶴臺の進言によると言う。翌年また信使と唱酬す。 明和二年、五十七歳昇格して大組に編せられ禄四十石を給せらる。尋て藩主の侍講と為る。 是歳米沢藩主上杉治憲に謁す。是より治憲の賓師となる。 明和七年、六十二歳萩に在り。九月召されて藩主に見え其の席にて病作る。 安永二年、六十五歳正月二十四日病を以て萩の自宅に没す。 （三）瀧鶴台の学問 （イ）鶴臺学問は実用を主とす。初め小倉尚斎に学び山県周南、服部南郭に学ぶ。尚斎は洛閩の学を奉じ周南・南郭は並に徂徠学を奉じ、共に守る所を異にすれども要は治国安民に帰す。鶴臺、その異なる所を学ぶに非ずして其の治国安民の道を求む。是れ聖人の道なり。 故に韓客と筆語せしとき、彼等が洛?を奉ずるに対して物子の学を声言したるにもその収結には遂に左の如くいへり。 苟も國治り民安からば復何をか求めん。何必ずしも学術の異同を争わんや。 と鶴臺が世の隠居閑言者が学説の異同を考へてその優劣を評論するに倣はず、其の大本に遡りて聖道を見る。其の学や大なりというべし。 （ロ）既にこの所見あり、此の心を以て物に接するゆえに儒教と異なる老仏の教も耳に逆らはず。其の著す所の「三の逕」に儒老仏三教の性質を説きて、儒は天を敬い、仏は因果を説き老は自然を言い、各その天や因果や自然に順いて生に安じ死に安ずる帰着点の一なることを明にしたるはその造詣の深きを知るべし。而して 孰れの道にも我を捨て世を救い人の為となりて候を第一と致し候。此心得なくては生死安心の沙汰も無益の至りに候。 と云へるを見ても念々治国安民を離れざるを知るべし。 （ハ）更に進みて鶴臺が廣く世界を達観したるを知るべき証あり今鶴臺の言の要を左に摘録す。 後世の儒者、道を己の私有と為し標同伐異して中国を貴び夷敵を賎むを務めと為す。其識見の陋なる天地の至大を知らざるものなり。古より西洋南蛮の船舶長崎に来るもの百二三十國あり。又地球図坤輿外記を見て之を明清会典一統志に参するに其の載さざるもの尚多し。宇宙の大なること此の如く而して其國は各々其國の道ありて國治り民安んず。乾毒にはバラモンあり。釈氏道と並び行はれ而して西洋には天主教あり。その他回回教ラマ法の如きもの諸国或は皆これ有らんか。夫れ利用厚生の道を立て成徳の道を立つるは皆天に代わりて民を安んずる所以なり。国治り民安んぜば又復何をか求めん。何ぞ必ずしも中国の独り貴くして夷敵の教えを廃すべきことならんや。君子は器を成し材を達して安民の用に供し志を得ざれば天を楽み命に安ず。また何をか求めん。故に世の己を信せざる者をして己を信ぜしめ、学を好まざるものをして学を好ましめんと欲し、或は時を知らず勢を揣らずその道を当世に施さんと欲し�ｧ々として弁を争い人に勝つことを好むなどは皆天地をの大を知らざるものなり。 （長門癸甲問槎による） 嗚呼、世界の諸教義に捕らわれず超然として大本を執りて国家の経綸を忘れざる大見識は百年後の明治の開進に広く知識を萬邦に操るてふ皇謨の精神と何ぞ異ならん。鶴臺の学は本邦文華の発展に於て豈率先の功なしとせんや。 （二）鶴臺の学に老子抄あり。未だ上梓せられず。又医術を究め仏学を修め特に仏徒と交遊広く造詣亦深しみな其治国安民の学に取る所あり。 （四）瀧鶴台の事業 （イ）鶴臺其の学を以て人を導きたる効験は、一は政事上に顕れ、一は教育上に顕る。即ち前者としては、長藩主毛利重就公及び世子君に侍して治国安民の道を講し、米沢藩主上杉治憲の賓師、また小泉藩主片桐氏の賓師としても同じくその道を説きたることなり。後者としては　子弟を教育して材器を成したること右田の一邑に止らずして一藩に及び、一藩に止らずして江戸勤仕中他藩の子弟に及びたることなり。 （ロ）藩主重就公は右田の領主たる公族毛利廣胖を当職に任用したるが、右田に縁故深き鶴　臺の人物を廣胖に依りて夙に聞知し先ず之を世子の侍読と為し、親ら又之を召して其の講説を聴きその管子講ずるを聴きて「倉庫充ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る」の条に痛く感憤したる結果彼の重就公の政積として著名なる撫育法即ち公租外の収入金穀の貯蓄法を創するに至れり。是は重就公の孫斎房公の逸事を記せる「靖恭公遺事」にも斎房公の言として載せたる中に、英雲公（○重就公の諡号）瀧弥八被召仕管子之講釈被成御聴候て御撫育御立不易之御成績云々とあり。鶴臺その侍読となりて後に重就の寵遇厚く講書の外に時々左右を退けて政事上に詢諏する所あり。弥八、感恩措かず、心を尽くして啓沃す。世に「弥八上疏」という寫本を伝う。重就公施政の蹟は即ち其上疏に言う所の実現せる者多きを見るという。 （ハ）上杉治憲は其賓師細井平洲に因りて鶴臺の人となりを認知し、之をも招きて賓師とするに至れり。平洲は鶴臺より少きこと十九歳。深く鶴臺の学識に服せるなり。平洲の門人上田雄次郎の言を録したる「青山閑話」に治憲の坐右の手箱に重要なる書類を蔵めたる中に鶴臺の進めたる経義の論説を一の抽斗に集め置きたることを載せたり。治憲の細井を尊信するは世の周知する所なるが鶴臺に対する尊信、亦た深きものあるべし。 （ニ）要するに当時東西藩国の明君として著名なる毛利重就公、上杉治憲公の政績の大本は主に鶴臺の輔弼に出でたるものにて其発現たる二君の政積は即ち鶴臺の事業なり。 （ホ）上杉治憲の書ける鶴臺文集の序文中に 己丑の秋、余始めて封に就きしを以て先生（鶴臺を指す）と別る。明年、長門候先生をして祭酒となりて学政を一新せしめんと欲し、之を率いて西に至れば、疾みて命を奉ずること能はざりき（○原漢文） とあり、此学政一新の事は鶴臺に胸算あり。其の「学校興立仕法書」というものによりて見ることを得べし。其要旨左の如し（学校とは即ち明倫館なり） 学業を明経紀伝博学和学の四科に分つこと各科に師一人助役二人置き生員六人を選定して専心研精せしむること虚文を矯め、実用に努むること（○その他の細目は略す） 鶴臺病に罹りて身其道を行うの位にたつこと能はざりしかども、後年明倫館の規則改正に之を採取せらるること多し。されば、その規則も亦鶴臺の遺せる事業ともいうべし。 （五）提要並補説 （イ）瀧鶴台の学問に関する見識は世の文華開展の指導となり、其の事業は長藩米藩などの明主の政積に顕る。殊に毛利重就の殖産は一に鶴臺と君臣相啄　して美を済せり。実に此の長計は鶴臺與りて力ありというべし。 （ロ）（補）鶴臺藩主の前にて病俄に起る。中風症なり。偶、其座に一の近侍者なし。重就公人を呼び之を扶けて殿中に休息せしめ、当直の医員をして之を治せしめ且自ら侍臣の室に臨みて其病状を問う。鶴臺の子鴻之允（高渠と号す）報を得て、登城し特に許されて輿を病床に近づけ之に載せて家に帰る。公乃ち侍臣をして従い行かしめ、其無事に家に帰したる復命を得て、然る後に燕室に入る。其翌年公用の人参一匁（○価銀五百匁なりという）を給与す。此薬もと当役の所管にして萩の公庫に在り。時に公及び当役江戸にあり。公特に遙に命じ別人をして便宜をもって薬庫を開かしめて之を給す。公の鶴臺を遇すること此の如く厚し。 （ハ）（補）鶴臺の江戸を去りて國に帰るや、上杉治憲思慕して己まず、細井平洲の明和九年に鶴臺に与えたる書簡に其状を叙せり。左の如し。 先生（○平洲が鶴臺を敬称する語）之御事常々御案事無己時々今一度御再遊も御座候様との御事常々御噂に御座候。此節、孝庵（○萩の儒員栗山孝庵）に御伝言之趣も米府（○米沢なり）江可申越候。嘸々候にも御悦可被成と奉存候とあるにて知らる。鶴臺の没するや其歳三月二十一日米沢藩臣平田隼人主命を伝へて弔書を後嗣鴻之允に致し香典を贈る。治憲の鶴臺を遇すること亦厚しというべし。 （五）瀧鶴台没後の光栄 鶴臺没後百五十五年に当れる昭和三年の十一月十日　天皇即位の大礼を行はせらるるに方り聖恩枯骨に及びて鶴臺に正五位を追贈したまえり。其光栄大なりというべし。 昭和三年　十一月　十三日　後学　安藤紀一　述ぶ （以下奥付） 昭和四年一月二十日印刷　同四年一月二十四日発行　（非売品） 長門國阿武郡萩町 著作　安藤紀一 長門國阿武郡萩町 鶴臺先生追慕会 長門國阿武郡萩町 印刷所　日本太郎社印刷部 長門國阿武郡萩町 印刷人　粟屋芳亮 （了）