為学初問 (工事中)

 本テキストは明倫館の二代目学頭であった山縣周南の著書をネット上で閲覧できるように編集したものです。日本倫理彙編. 6 古学派の部/ 井上哲次郎,蟹江義丸 編纂(臨川書店)、所収のものを参考に、 仮名遣い・句読点は必要に応じて適宜現代風に直しました。また文と文の間には独断的に難読単語の注を付しています。


(前略)


一、夏の虫は冬の寒きを知らずとかや。今の時程目出たき御代はなけれど、我も人も常の事とおもえば、改めて楽しとも思はず。熟遠き昔を案ずるに、神武天皇のあたり、世々の帝は聞こゆるもろこしの明君にも増さり給う聖徳にてぞ在ましけん。王澤民心に入ること深く、今に至りて二千余年、日月のごとく戴くなれば、斯る事は他の国の記伝にも身たることなし。されど其程の事は、国史にも詳らかならず。民俗も醇厚にて、政も寛なりけん。さこそと思いやられて慕わし。今の世に増りやしけん、増らずやありけん、知りがたし。

(中略)



一。さりながらちかごろは、士庶ともに貧窮を苦しむ人多し。盛世にも斯る事あるべきや。曰く、苦を経ねば楽を知らず。今の世の貧窮も、乱世の苦患にたくらべなば、いか程か楽しかるべき。世久しければ人口増加して物不足と人はいえど、さは思われず。和漢の史どもを見るに、飢饉は乱世にこそあれ。治世には希なり。誰も知れる唐の太宗の世の斗米三銭など、時豊かなる験なり。乱世は造化の気虚して人類減耗すれば、米穀諸物も同じく減耗す。治世は造化の気旺する故、人類蕃昌すれば、諸物も同じく蕃昌して、人の養ひ不足なし。杜氏通典明史など、天下の戸口を記したるを考え見るに、漢桓帝永壽三年口数五千六百四十八萬六千八百五十六人、唐玄宗天宝十四年口数五千二百九十一萬九千三百九人、明世宗嘉靖年中口数五千五百七十八萬三千人とあり。是彼邦全盛の時の員数なり。此間の乱世は戸口皆減ぜり。是を以て見れば、譬えば豊年の田地に稲よく生ればとて一町の田に生る稲の限りある如く、中華の地に生ずる人も、土地相応の限りあると見えて、古今の差いなし。世久しければとて、諸物に越て人類のみ蕃昌して、養い不足すべきことに非ず。唯治世久ければ、人情矯慢に成て、風俗自然に奢侈し、過分に物を費す故、奢侈極まれば財力尽くるなり。天地の生育不足するに非ず。人事の相違にてあり。但礼楽の制度あれば、急には困窮にならぬことなり。礼楽の制度とは、上王者より下凡民に至るまで、上下貴賎人倫の差別を、居所衣服一切の物にて格式をたて、其品を分るをいう。是治世安民の道を運ばする道具なり。此道具揃わねば、仁政天下に偏ねからず。軍中にこそ皆甲冑をきるなれば、軍装袀服とて、貴賎の章服差別なけれ。今は王者も裃をめす。凡民も裃をきるなれば、いかで貴賎をわかたん。されば財だにとめば、凡民も王者の栄耀の真似をする。混奢りに奢りて、今は世共に財つきて、貧窮を苦むなり。分を越て奢らずば、何の故にか貧窮せん。貴者は身を高く持上て、輙くは人に物をもいわぬ程の風俗なれば、今の諸侯は昔の王者にも増るべし。今の大夫は昔の諸侯にも増るべし。是を見真似て、足軽の奴隷まで、士大夫の真似して上臈めけば、などか貧窮せざらん。治世の徳をば恭倹の勤倹のとこそいうに、高く出るを規模と覚え、緩怠をするを貴相と思う。浅ましき風俗なり。偖困窮ほど恐ろしき物はなし。小人窮すれば濫すといえり。奢る者の癖として、奢りの用をたさん為に、財宝を貪る。財宝は貴賎上下相応して配当したる物なれば、分に越えて張時は必たらぬ物なり。不足ばとて、人の財宝を手立ても取られねば、上よりは下を剥てたし、下は上を掠めてとる。はぐも掠むるも手を見せじと巧む程に、凡俗大きに悪しく成て、礼儀廉恥の四維たへ、士のかたぎはなし。其世に生まれし人は、士のかたぎはかうぞあるものと思うらん。上下交取利(じょうげまじりてりをとらば)ば國危からんといえり。易からぬ事にてあり。



一。扨それをばいかにして立直すべきや。曰。制度を建る事は、天下を保ち給ふ王者ならでは成りがたし。それこそ博く学問して、世々の制度を考え、古今治乱の源委をさがし、世々の君臣の賢不肖を鑑みば、いつとなく知識厚く成りて、時節相応の計らいも出来ぬべし。礼記王政に、三年耕而有一年之蓄とあり。是は一年の所務を四分として、其三部を今年の用料とし、余る一部を蓄え置て、飢饉の用意とす。三年蓄えれば三分あり。則一年の用料あり。是を積て三十年にして十年の用意あり。是を堅固の国とすといえり。又量入以為出ということあり。是は一年収入る所の所務はいか程と見て、ならるるだけに払い出すべし。遣方を先にして払い出せば、必ず不足するものなりということなり。無一年之蓄国非其国といえり。一年飢饉すれば上下餓死する故なり。又軍事には分限相応の人張をして従軍する外に、石に当りて軍役あり。役旗役槍等分に応じて出す事なり。今の士大夫何として弁ずべきや。先は近昔の風俗を手本にして、身上半分の覚悟にして、凡の格をたてて見よ。それならば風俗自然と恭倹に成りて、何事も成よかるべし。それより先は彼学問の力にて、よきことを思い出し、人の耳目を驚さで、いつのまにか風俗直りて国治まる様の計らいあるべし。相かまえて学問こそしたれと物知だてして、大道の旨に違いたる軽忽の計らいして、人の国家に過ちばしさせ給うな。



一。左様に格を改めば、勝手にはよかるべけれど、余りにさもしく成りて、士の分たたじと思わる。曰。吾も人も其心なればこそ世は窮するなれ。居所の荘厳家内の器物、凡吉凶の人事、昔に比せば軽くとも十倍せむ。されば昔一年の用金百両にして余計有りし人は、十倍して千両にても不足あり。なれ来る事を常の様に思うは人情なり。四五十年以来年増につみあげていつとなく十倍に成りたれば、唯昔より斯ぞありけんとおもうなり。何にても父祖の代の事を今日に引き合わせて見給え。十倍なること思い当りぬべし。半分に減じたらんは、何か苦しかるべき。それを士の分立たずち思はるるこそ口惜けれ。都て今の世の恥る事と、昔の世の恥る事と、氷炭なる事多し。困窮に付いては不屆なること多く、士のすまじき事をもする。譬えば富家の金を借て返さず、取まじきものをもとり、育むべき人をも顧で、それをば何とも思わず、よき絹きて富貴の体相して立廻るなどこそ、いと恥かしき事なれ。官禄高き人は高きに付ての用意あり。一己の士は、一己についての用意あり。其欠けたらむこそ羞なるべけれ。女の恥づる様なる事数えあげて、是ぞ士の羞なりと思はんは、口惜き事なるべし。最明寺入道殿、かはらけ味噌を日本一の肴なりとて酒飲れたりし事、誰もいみじとは思へども、其世の勢に付て、我独もせられまじきか。されども都てなさむと思えば、なすに付ての道理あり。せまじと思えば、せぬに付ての道理あり。必せで叶わずと思はば、人の耳目を驚かさでよき程の計いいくらでも有べし。左もなくて安危存亡の機を察せず、唯世に連て浮沈せば、譬えば重き病ある人の、灸はあつし薬は苦しとて用いず、一日の安きを頼み、眠り居て命の尽るをしらざるにひとし。死亡の患の種なりと、しりて思いつかば、これを避る業はなしよかるべし。

※最明寺入道とかわらけ味噌
『徒然草』に収録された話。平宣時が、最明寺入道(鎌倉幕府五代執権・北条時頼)に「肴がない。探してくれないか」といわれた。宣時が台所でかわらけ(小さな土器)に、みそが少しだけこびりついているのを、やっと見つけて持っていくと、最明寺入道は「それで結構」と満足し、二人で気持ちよく酒を酌み交わしたという故事。倹約の見本として明治時代の修身の教科書にも採用された。





一。倹約とも節倹ともいう。節用省財ことなり。所用節畧してへらす時は、経費おのづから減省するなり。格をかえ事をへさずして、唯財用を省かんとする時は、吝嗇の形に成て悪し。吝嗇とは財を惜みてしわき事なり。益己時は人に損あり。財は人々欲するものなり。然るを我のみ金持んとせば、人の怨み出来て、人情離る。斯る人は父子兄弟の間さえ睦じからず。論語に節用而愛人との給えり。節用時は人を損する気遣いある故なり。何故に用を節するぞなれば、譬えば諸侯の上にていはば保国安人ぜんためにこそするなれ。節用するがために人をそこない、人情離れば何の益かあらん。大夫士以下一己の身の上とても、皆同じ道理なり。其上物設せん金持むと思うは、浮世通する賤者の心にて、下劣の事なり。内に其心あれば、物いい形にも自然と下劣の相あり。士の恥べき事なり。






周南先生為学初問下


一。道は理の名なり。理に形なし。道の形は礼楽なりといへり。礼はさもありなん。音楽の礼と同じく道の形なることは何の故にや。曰。老釈は皆遁世の士なり。老荘は無道の世に生まれ、釈氏は無教の邦に生れたり。其人生得(せいとく)高才なる故、世の有様を悲みて、身を捨世を遁れて、衆生を済度せし人なり。其道無欲を本とす。





(つづく)