作文初問  長門縣孝孺撰

 長周叢書(マツノ書店)と山口県文書館三坂圭治文庫版を底本にする。適宜句読点を付し、語も現代的に読みやすいように手を加えた。写し間違いや注の間違いは多いと思われるので注意。


※縣孝孺:山縣周南のこと。


秦漢以上を古文とす。六経以下諸子百家の書皆是なり。然るに其の文辞互いに踏襲せず。一種一種各一家の体を成せり。文章家自己の好尚に従いて優劣を評品すと雖左伝は檀弓為に価を減ぜず。孟子は荘子為に席を奪われず。諸家各一家の文章にて百世不刊の文辞なり。是を以て文章に定体なし。。如何様に書きても文章になると云う事を悟るべし。此の如く領会すれば気肝活大になり、百家を併呑する心ありて筆を把て羞渋せず。


※檀弓(だんぐう):檀弓篇。礼記の一篇。蘇軾(蘇東坡)や黄庭堅(黄山谷)が散文の模範として絶賛した。
※不刊:摩滅しない。ほろびない。刊はけずるの意。
※気胆:胆気のことか。胆気は物事を恐れない勇気。


文章に篇法、章法、句法あり。文章軌範、文章欧治、文章一貫等の書を見て其の法を悟るべし。此篇の末に大概を抄出せり。又史漢の評林諸家の文評等甚だしく学者に益あり。意を注けて見るべきなり。又欧治規範の類、科業の為にして設くる者あり。是に眼染めば習気二等に落て古文を学ぶに害あり。心得て見るべきなり。凡そ唐宋以後、天下の文章韓柳を宗とす。人々巧拙ありと雖も畢竟ニ家の範囲を出でず。太抵天下の文章一体に成りたり。篇法章法起結鋪叙過接照応起伏、凡そ一篇の文字縄墨をひき寸法をあつるに其の次第分明なり。

是れ韓柳以後の文法なり。此の文法を秦漢以上の古文に付会して論ずる者は非なり。経史諸子皆事を記し道を論ずるの書にて意達して止む。後世文人の詞藻を弄する類に非ず。故に古文は無法渾成自然の文字なり。事を叙で言を述る時は章句段落自然と其の中にあり。譬えば人一件の事状を口接するに源委巨細次を逐って説き下せば自然に條貫ありて分曉なるが如し。後の学者其の中に就て眼なれたる者を表出し条理して文法とす。故に其法亦定論なし。我悟る処を貴重して論説す文人の気習にて往々夸詡の言あり。眩惑すべからず。古人方を設けて文を作るに非ず。唐荊川曰、漢以前の文は未だ嘗て法無きはあらずして法無法の中に寓す。故に其の法たるや密にして窺うべからず。唐と近代の文は法無きことあたわずして有法を以て法と為すなり。厳にして犯すべからずと云えり。法無法の中に寓すといえば法を隠して手を見せぬように聞こゆれども、左にてはなし。古人は文法の沙汰はなしと心得べし。徂徠先生古文矩韓柳と于鱗との分を明かす。先秦以上の古文を蔽うにあらず。蒙士文を作るに法を論ずれば拘縛せられて悪し。大概一篇の起結首中尾段落等の工面をして凡そは心に任せて書くべきなり。


※文章軌範:宋の謝枋得編による名文集。全7巻。文章の手本が示されている。日本でも江戸時代に多く読まれた。
※文章歐冶:不詳
※文章一貫:不詳
※史漢:司馬遷の『史記』と班固の『漢書』、代表的な歴史書のこと。
※韓柳:唐の韓愈と柳宗元を指す。共に文章に優れた。
※于鱗:李攀竜の字。明の文人。詩文の復古を唱え荻生徂徠に多大な影響を与えた。王世貞と共に李王と称せられることが多い。


文を作らんと思はば先ず題に対して主意を立つべし。是一篇の文字の種子なり。主意已に出来たらば首は何と言い起こし、中には何と言い広げ、尾には何と言い収むべしと首中尾の分段を布置すべし。是にて一篇の体立つなり。分段已に定まらば筆を把て心に任せてさらさらと書き立つべし。此の場にて苦思渋滞すれば一篇の気脈貫通せず。章段支離して体を成さぬなり。其の上にて只管辞を修し、潤色を務めて、卑俚を洗浄し、典雅の辞を択び、繁冗なる処を点検して文を簡古に約て見るべし。十字二十字の句を五字七字にも約し、五百字、七百字の篇を二百三百にも約すべし。古文は辞簡潔にして義理深長なるを貴ぶ。中華の文も宋元の文は冗長なれば誠に古文辞を以て約て見よ。如何程もつめらるべし。此方は常の言語繁冗支離なる故其口気自然と文章にうつり衍語侈辞あることを覚えず、又言語の次第漢語に比すれば顚倒なる故之を読んで見て口に碍たざる故顚倒あることを覚えず。及び言語の殊異に因りて字の顚倒のみならず句の次第にも倒置あり、多くの文字を費して漸く説き迥して通ずることあり。和文の習心に染まりてある故なり。漢語を和語にて訳して説くに下の句を先へ言いて上の句を後に言えば講説を費やさずして分暁に通ずる類多し。是にて字のみならず句にも顚倒あることを知るべし。此意を了悟して古辞雅語を持って綴緝すれば自然と文簡潔高雅にて義理深くなるなり。


文章に修辞達意ニ端あり。徂徠先生譯文筌蹄題言中、具に論ぜられたり。畢竟辞修せざれば意達せず。故に修辞文章の第一義なり。文を作んと欲せば先ず古辞雅語を多く記憶すべし。胸中富贍なれば筆を把って自由三昧なり。朱元晦云う。韓愈博く伝書を極め奇辞奥旨諸室中の物を取るが如し。と云えり。此事なり。汪伯玉は十三家を定めて此年に一周せしと云えり。四書五経は、中華の人挙業の為童稚の時より暗誦するなれば十三家の内に数えず。所謂十三家は左伝、国語、戦国策、史記、漢書、荀子、呂覧、老子、列子、荘子、楚辞、淮南子、文選、此の外に韓非子、水経、世説読まずんばあるべからずの書と徂徠先生は云われしなり。華人は僧家諷経の如く音節ありて順に読み下す故、此方の読み方に比すれば労も少なく功(てま)を省くなり。此の方の読み方は華人に比すれば大きに功力を費やす。是程の書此年一周には及び難かるべきか。読むに目を以てせば亦頗る功を省くべし。古人菁華要文を抄書して記するもあり。甚だしく抄書を貪れば却りて功を費やし記憶の益にならぬこともあり。若し叉書数を省き簡にして記せんと欲せば五経は経学文章の根元なれば、専に読むべし。此の外に左伝、国語、戦国策、史記、漢書、屈子、荘子、文選なるべし。読み方本文ばかりさらさらと読みて全部に渉りて記憶することを図るべし。大要は人々得方ある物なれば其法は好む所に任せいかにもして博く記憶して緩急に備うべし。文を構えるに臨みて李益が獺祭魚と云える様に書籍を捜索すれば精神渙散して工夫専一ならず、文章の気を傷う。或いは多岐に奔散して文成り得ず。常に胸中に貯え有りつべきこと作文第一の功用なり。

韓退之は務めて陳言を去るを功とせり。陳は陳腐なり。いかなる新奇の美言にても一たび人の口を経れば陳腐なり。人の陳腐を拾いて文を作るは卑しと思えるなり。檀弓孟子の文法を学んで文を作れども学びたりと見えず。自家渾成の文と見ゆるは語を剽窃せぬ故なり。陳言を去るとは古書の成言全句を用いぬなり。文字は皆経子史集古書に本據せり。然らざれば文典雅ならず、明の末袁中郎鍾伯敬など王李が古文を厭いて新奇の文を倡う。好んで六朝以後近俗の文字を用いたる故其の文軽膚繊弱なり。戒とすべし。韓柳と並称すれども柳子厚は間(まま)古人の成言全句を取用いて文を作れり。獻吉于鱗が開祖なり。然れども多く古語を用いれば反りて正気を累ぬと云えり。古語を用いて鋳鎔足らざれば支吾する処ありて全文渾成の気を傷う故なり。于鱗は好んで古人の成語全句を綴緝して文を作る。是は一意に高古を貴ぶ故古語を解析すれば古気を傷んことを恐るるなり。汪伯玉亦多く全語を用う。元美は章法句法をば模すれども全語をば用いず。其の文于鱗に比すれば才余り有。而して時に巧に傷られ古に専ならず。獻吉が集を検するに其の集の自序、全く左伝季札観楽の段を学べり。是于鱗が興起する所なり。其の佗の篇は四字の句多く、文簡潔なれども間斉梁の語あり。古雅に専らならず。李何が復古の功は専ら詩にあり。文章は王李に至りて明の古文成れり。

 
古語を用るに鋳鎔融化を重んず。譬ば古金を用て器を作るが如し。よく鋳鎔して金質融化すれば器は新製なれども光彩色澤宛然たる古器なり。若し剪截称はず、字義当らず、或いは語辞不類なれば畔岸乖離して支離齟齬す。是子厚が所謂正気を傷なうなり。尤も工夫を用べきことなり。

文章古今の変を観て高下気象の雅俗を知り文を作る標準を立つべし。先秦の古文は文章の本なれば論ぜず。漢は西京を盛とす。南北隋唐に下りて衰ふ。韓柳古文を倡えて唐の文興る。宋元明に下りて衰えて王李之を興す。是古今の変なり。漢の文、斉梁の文、韓柳の文、宋元の文、王李が文、各十篇ばかり抽出して体製辞藻を熟覧せば其の変判然として見ゆべきなり。漢の文は古文に比すれば漸く儷語多し。

其の辞古質樸茂なり。其の中史選は儷語少なし。六朝に下りては対偶の法甚だ巧にして其の辞縟麗を尚ぶ。婦女の体質は弱くして鉛粉の粧盛なるが如し。韓柳偶対を去り鉛華を削り義理を主しし孟子の体を学んで古文を倡う。六朝の弊一洗す。韓柳六朝の辞勝に懲りて鉛華を削り、義理明暢を尚ぶ。其の流宋元に至りては、理勝て辞修せず。辞を修めざれば必ず鄙俚に落つ。義理明暢を尚んで辞猥雑とる故其の文冗長なり。于鱗此弊を矯めんとす。韓柳再びずべからず。唐を鍮漢を越えて、左伝、史遷を主とし先秦以上の古文を宋元理勝の文に懲りて専ら修辞を尚ぶ。元美伯玉を羽翼とす。是明の古文なり。

※樸茂:飾り気が無く人情に厚い。樸淳。樸厚。


王鱗曰く、規矩を以てせざれば方円する能わず。擬議して変を成せば日新富有なり。今夫れ尚書荘左氏檀弓考工司馬其の成言班如たりや。法則森如たりや。吾其の華を摭て而して其の衷を裁す。字を琢して辞を成し、辞を属して篇を成すと。是于鱗が家法なり。擬議より富有までは繋辞伝の辞を裁して文を作る擬議は效法の義に取る。即ち模擬なり。古人の成言を模擬して陳腐を変化して新奇たるや于鱗が意。古言を陳腐と言えども規矩を陳腐とて棄てられはすまじ。古文を学ばば古言を規矩とすべし。古人の成言班如として見つべし。文法森厳に備わりてあり。其の辞の英華を択んで取り、其の衷ところを我が心にて裁節して取り、辞をみがいて辞句を作り、辞句を綴属して一篇を作るべしと思えるなり。韓子が陳言を去ると云うを反用して別に韓柳以後の古文を建立せり。宋元の文章猥雑卑陋なれば、げにも此の如くならざれば救いがたかるべし。其の上于鱗が古文を学べば古書に淹貫せざればあたわず。古書に淹貫すれば古経明らかにして易し。徂徠先生専ら李王を推されしは徒に文章を高しとするに非ず。経学の階梯なればなり。然れども韓柳は時を考え力を量りて自己より出だす。其の文自然なり。管仲が仁に似たり。于鱗は一意に古を修し超乗して上り古人を模擬して作る故、時に或いは牽強あり。善く学ばずんば宋襄の仁になるべし。又孫淑敖が優孟なるべし。学者の工夫にあり。

此の方の学者助字を大小大事として難ずるは助字に和訓なき故なり、字書に的当の訓詁なければ訓なきに因りて難んぜば華人も同じことなり。されど彼の方に助字の難易を論じたる事を見ず。柳子厚人に助字を教えて歟邪哉夫は疑辞なり、矣耳焉也は決する辞なりと計り言いて其の他備具せず。漢文の助辞は此方のてにをはの如し。助字なくても上下の文を通じて心を以て推して読めば義通ずることなれば大概右の様に心得てすむことなる故なり。俗諺に焉矣也乎哉用い得る的の好秀才と云うも旦旦助字などをば弁え知る程の才子と云うことなり。難んずる言に非ず。韓柳以後は文法体制大概一定せる故助字の置所又用うべき字も一定して知り易し。古文は然らず。南郭文筌小言に論列せり。考えて知るべし。凡そ助字の用、辞句不足なる故助字を添えて語勢を整えるもあり。字孑孤なる故なる故助字を副えて輔るもあり。或いは整斉畳復する故助字を挿んで語勢を緩むるもあり。助字を去りて義に害なきもあり。助字を得て義理深くなるもあり。又平字用うべき処に也字を用い、之字用うべき処に而字ある類、交換通用せるも皆語勢に因りて転ずるなり。此の類は上下の文を推して通ずるなれば、今文の使用より見れば唯語勢を助けて定義なきに似たり。又詩経助字多く意義なし。猶蘇調の侯兮、今時の歌曲哪哩の類以て声調を成すがごとし。巳故に註家亦解釈無し。設如後世助字の法を以て其の義を考究せんと欲せば、則ち風を捕え影を繋ぐなり。詩は歌詠の辞。其の文固に佗書と殊なり。然れども以て助字の用を概すべし。又古文には必ず有るべき処に助字なく有るまじき処に助字有るもあり。心を注て見るべし、助字少なき文は整斉簡潔なり。助字多き文は婉曲優美なり。書経・漢書は助字少なく左国遷史は助字多し。

論語孟子は助字多く荀子は少なし。老列は少なく、荘子には多し。一書の内にても篇体に因りて多少あり。一人の作にても文体に因りて多少あり。凡そ助字字義を以て求めては知りがたし。博く古人の用処を見て変化を知るべし。自然と難事に非ることを知るべし。

※乎歟邪哉:助字(助字(助辞・助語とも書す)主としては也・矣・耳・已・乎・歟・邪・等であるが、尤・最・即・則・乃・等の副詞接

続詞及び是斯等の代名詞をも含み、甚だしきは至・到・臻・等の如き動詞をも含んで居る。)

※孑孤:(けっこ)「ひとり」の意

欧陽永叔、多く書を読めば自ずから文を能くすと云えり。泛然と博く書を読めと云うには非ず。文章に益ある書を混読に読めば心目、文に熟して自然と文章を喩ると云うことなり。唐明四家の集常に身を離さずして熟読すべし。然らざれば古辞を多く記憶しても篇章の結撰泥むなり。

※泛然:「バット」というルビあり。(長周叢書・三坂圭治文庫版)
※混読:ひたよみ

劉勰曰く六経は天地に象り、鬼神に效い、物序に参わり、人紀を制し、性霊の奥区を洞かにし、文章の骨髄を極るものなり。論説辞序は則ち易、その首を統べ、詔策章奏は則ち書、其の源を発し、賦頌歌賛は則ち詩、其の本を立て、銘誄箴祝は則ち礼、其の端を総べ、紀伝銘檄は則ち春秋(此左伝を指す)根たり。百家騰躍すれども終に環内に入る。故に文能く経を宗とすれば六善あり。焉情深くして詭らず、一なり。風清くして雑ならず、二なり。事信にして誕ず、三なり。義直にして回らず、四なり。体約にして蕪ならず、五なり。文麗にして淫せず、六なり。
 
文の体制、章句の法、辞の菁華、悉く五経に出ず。能く五経の文を記憶すること文を学ぶの基本なり。

※劉勰:りゅうきょう、六朝末期の梁の国の人。字は彦和 文学理論を組織立てた。「文心雕竜」の著がある。
※象り:かたどり
※詭:いつわる
※誕ず:いつわらず
※蕪:あれる、みだれる

 柳子厚曰く、先ず六経を読む。次いで論語、孟軻の書。皆経言なり。左氏、国語、荘周、屈原之辞稍之を采取せよ。
穀梁子太史公甚だ峻潔なり。以って出入すべし。

※稍:ショウ、やや、すこしづつ、だんだん

 

李塗曰く荘子が文章善く虚を用う。其の虚を以てして天下の実を虚にす。太史公文字善く実を用う。其の実を以ってして天下の虚を実にす。(宋人作文章精義)
 荘子は実事を假て議論を行う。史記は直に事実を記す。必ずしも断案を下さずして淑慝褒貶自ずから議論を待たざることあり。

王元美曰く、檀弓、考工記、孟子、左氏、戦国策、司馬遷は文に聖なる者か。其の叙事は則ち化工の肖物なり。班子は文に賢なる者か。

人巧極まり天工錯れり。荘子、列子、楞厳、維摩詰、文に鬼神なるものか。其の達見、峡決して河潰すなり。窃冥変幻して其の端倪を知ることなきなり。

※考工記:古代における兵器や楽器等の作りかたがかいてある書。
※維摩詰:維摩経のこと。正式名称は仏説維摩詰所説経。

 孝孺按ずるに楞厳、維摩達見峡決は則ち之あらん。其の文豈屈荘が之倫ならん。元美此の心有る故に其の文古に純ならず。又能く筆を下して縦横、禦げなし。

※禦:さまたげか。

凡そ文章経に元づくこと劉勰が前の論に云えり。されども荘子屈子が跌宕奇譎の思い、窃冥変幻の風調なければ文章闒靸萎薾するなり。

譬ば屈子が漁父の辞に漁父莞爾として笑う、竄鼓して去ると云い棄てて繋著なき所極めて面白し、蘇子瞻是に本づいて赤壁賦に鶴を夢見ることを云えり。窃冥変幻屈子が上に出たり這等の逸調詔策経議等の文には用られず。されど文士の胸此奇思逸調無れば文委靡するなり。詩に経語を忌む心にて文章も理学に濡首する経生は風雅の思致なくして拙き者なり。

麗澤文説に云う。文に三等有り。上は鋒を蔵して露さず。之を読めば自ずから滋味有り。中は歩驟馳騁沙を飛ばし、石を走るに用意庸常専ら造語を事とす。

 初学の者は中等を心がくべし。上等を学ばば下等に落ちるべし。東坡文を作りて命意に工なり。必ず超然として衆人の上に立す。と云えり。題に向きて先ず主意を得んと吟味すべし。趣向庸常なれば造語よくても下等に落つ。超然と高くとびぬけたる工夫なければ凡庸を得離れず。

王維髷Hく、文章の体ニつ有り。序事議論相淆ぜず。蓋し人々能言う。然れども此れ宋人創りて之を為る。宋の眞徳秀古人の文を読みて自ら所見を列し岐けてニ途と為る。夫文体区別すること古より誠に之有り。然れども岐て別にするべからざるもの有り。老子、伯夷、屈原、菅仲、公孫弘、鄭荘等の伝及び儒林伝等の序の如き、此れ皆既に其の事を述し、又其の義を発す。言の弁なる者を観るは以て議論と為して可也。実の具わる者を観るは以て叙事と為して可也。変化、離合、物に名づくべからず。龍騰鳳躍韁鎖すべからざる文にして、是に至りて遷史と雖も其の然ることを知らず。晋人劉勰文を論ずること備われり。條中鎔裁するもの有るとは正に此を言う耳。夫れ、金錫和せざれば器を為さず。事詞会せざれば文を為さず。其の致りは一也。

 按ずるに文筌に叙事、議論、辞令、三体と為す。詔誥教誓祝盟啓簡の類いを以て辞令と為す。

徂徠先生曰く文章の道達意(論語)修辞(易伝)の二派聖言自ずから発す。其の実は二つの者、相須らく修辞に非ざれば則ち意則ち達することを得ず。三代の時二派未だ嘗て分裂せず。然れども亦各主とする所有り。孟荀老列韓賈遷固は達意を主とする者なり。左國荘騒相如楊雄は修辞を主とする者なり。東京は修辞に偏なり。而して達意の一派寥寥たり。六朝の浮靡唐に至りて極まる。故に韓柳達意を以て之を振るう。宇宙一新す。然れども韓柳は諸を古に求める故に振るう。欧蘇諸を韓柳に求める故に又衰う。降りて元明に至り文皆語録中の語助字別に一法を作し夐に上古と合せず。古今の間遂に一代鴻溝を成す。故に李王修辞を以てす。之を振るう、一に古を以て則と為す。大豪傑と言うべし。(訳筌題言)

※()内、小文字

 愚、五経は義理の府、菁華藪と言う

欧陽永叔曰く文字佗の術無し。惟書を読むこと多ければ則ち之を為して自ずから工なり。人の患いは、書を読むに懶なると、又文字を作ること少なきと、一篇出る毎に即ち人に過ぎんことを求むるとに在り。此の如くして至ること有る者少なし。(文章辮体)

 文を作るに始めより善く作らん、人に勝らんと思えば却りて渋泥して文才を傷う。志をば高くして工をば易く心得べきなり。

文法を看る。

 第一 大概の主張を看る。(是の主意は如何)
 第二 文勢規模を見る。 (是の首尾相応ずか如何)
 第三 綱目関鍵を看る。 (是の抑揚開闔の処如何)
 第四 警策を看る。   (是の一篇警策如何)
 第五 句法を看る。   (是句を下し、字を下して力有る処如何。是融化屈折して剪裁力有る処如何。是実に貼する題目を体する処

 愚是則ち文法と言う。

※闔:コウ、とびら
※剪:セン

程子曰く孟子は議論に善し。先ず其の綱を提て、後詳らかに是を説く。只是れ見識高し。胸中より流出す辮論盤根錯節の只譬喩を以て軽軽に解破する。(性理大全)王維髷Hく古今文章家奇響を擅にする者六家、左氏の文は以て葩にして奇。荘子の文は以て玄にして奇。屈原の文は以て幽にして奇。戦国策の文は以て雄にして奇。太史公の文は憤にして奇。孟堅の文は以て整にして奇。皇宋類苑云う、文章人品と同じ。古より大聖大賢英雄器量有る者にあらざれば至る能わざるなり。英雄の気天地を擔負す。英雄の量古今を包含す。天地の至重を擔負し古今を包含して余り有らば天下の道徳を立てて天下の事業を成すとも不可なること無きが如し。況や区々たる古文にして高からざる者有らんや。蘇伯衡が曰く、凡そ題目に遇はば、須らく先ず意を命ずべし。大意既に立たば又須らく如何起こし、如何承接し、如何収拾せんとすべし。之れ、布置と言う。又曰く筆を下すの時且つ須らく専心冥思すべし。一篇の大概已に胸中に具わりて方に辞を措くべし。若し段を逐いて句を逐て之を為すは則ち文為る所以に有らず。

 篇法

緯文瑣語と云い、篇中冗章有るべからず、章中冗句有るべからず、句中冗字有るべからず。(文章一貫)


 篇成りて後数回沙汰して冗章冗句を去るべし冗処あれば文病みて気健ならず。


麗澤文説と云い、文字一意貴ぶこと段数多きに在り。


 篇中段数を段段にわけてかくべし。段数分るれば文勢分明にて義理分かれ易し。


又云う、散文若し段子を作さば恐らくは流暢せじ。


 散文は四六対偶の文に対して云う。四六は読み易きを貴ぶ故に事條ごとに段を分けてかくなり。散文は段を多くわけば篇体崎嶇としてさらりとあるまじとなり。是は前に段数を多くせよと云うに付いて又此の心得をして段数のわけようをよく取り廻し支離せぬようにと云うことなり。前の段数多くと云うも四六に限らず散文の法をも兼ねて云えり。

文章精義に云う。文字須らく数行斉整なる処、数行斉整ならざる処を要すべし。意、対する処は文却て必ずしも対せず。意、必ずしも対せざるは、却りて著対す。

 斉整は対偶を指す。古文の対語は語勢対して字必ずしも対せず。句中の助文も参差たり。対偶堅ければ時文に落ちて鄙し。古書の対法

に心を付けて見るべし。

※参差:「そろわず」というルビあり。

 

文字終篇主意を見ずして結句主意を見るものあり。過秦論、仁義施さずして攻守の勢い異なればなり。
韓愈の守戒するは人に得るに在るの類い是なり。(文章精義)

※過秦論:漢初、賈誼(かぎ)著。秦の過ちを論じながら、中国統一の方法についてのべる。封建制と中央集権制の優劣を主な論点とする。

史記終篇、惟他人の説を作し、末後に自己只一句を説く。子瞻表忠観碑の類是なり。(文章精義)

昌黎、李愿の盤谷に帰るを送るの序、終篇全く愿が説話を挙げ、只数語其の實愿が言にあらず。此れ又別に是れ一格式(文章精義)

捫蝨詩話に云う。文を為すには常山の蛇勢を知らんことを要す。

 即ち孫子首尾共に至るの説最初当の論なり。

※捫蝨:もんしつ

王世貞曰く首尾開闔繁簡奇正各其の度を極むるは篇法なり。抑揚、頓挫、長短、節奏各々其の致りを極むるは句法なり。点綴関鍵金石綺綵各其の造を極むるは字法なり。篇に百尺の錦あり。句に千鈞の弩、字に百錬の金あり。

文筌文章の体六節

 起 明切人の眉目有るが如きを貴ぶ。 (篇の首、発端なり)
 承 疎通人の咽喉有るが如きを貴ぶ。 
(承は承接なり。上を受け次ぎて次ぎへうつる)
 鋪 詳悉人の心胸有るが如きを貴ぶ。
 叙 転折人の腹臓有るが如きを貴ぶ。 
(二節は篇の中転折も委曲の意なりと。)
 過 重實人の腰膂有るが如きを貴ぶ。 
(過は過接議論の端、改める所公段のつぎめなり。)

 結 緊快人の手足有るが如きを貴ぶ。  篇の尾、桔段なり
 

右六節大小諸文体中皆之を用う。然れども或いは其のニを用い其の三、四を用う。宜に随いて増減すべし。有れば則ち是を用い、無ければ則ち之を已む。其の間起結の二字則ち必ず無きは有るべからざる者也。起結の二法作文家にありて最も難事と為す。須らく韓柳ニ家の諸体文字を将て帰結を摘出し其の変化の手段を見るべし。当に之に自得すべし。言伝すべきに非ざる也。

※将て:もって

文章一貫起端の八法

 問答 問答を設け為して以て端を発す。
 頌聖 聖徳を頌美して以て端を発す。
(此聖徳は天子を指すなり。凡そ古人の徳を挙げ、頌美の題の本事へうつして承る体なり)
 叙事 事実を次叙して以て端を発す。
 原本 或いは理の本を原ね、或いは事の本を原づけ、或いは古の始めを原づく。
 冒頭 或いは題について説を立つ。
(先の一段の議論を述して本事へうつる)
 破題 或いは題の字を見はし或いは題の意を切にす。
 設事 本實時無きて假に次序を設ける。(是は冒頭の類)
 抒情 其の真情を攄べて以て事の端を発す。(是は破題の類)
  或いは含んで     下の文をして此の内に在らしむ。
  或いは下の文を引きて 下の文をして此に従い生ぜしむ。
  或いは下の文を喚んで 下の文をして此と応ぜしむ。

※頌美:しょうび
※原ね:たずね 
※減づけ:もとづけ
※攄べて:のべて

欧陽起鳴云う。鋪叙は豊贍を要す。文字直致して委曲無からんことを最も怕る。

※贍:せん

麗澤文説云う。文字を看るは須らく佗の過換及び過接の処を看んことを要すべし。
又云う転換の処、須らく是れ力有るべし。助語を假りずして自ずから接蓮するものを上と為。
文章一貫云う。過接して以て上を結し下を生ずるを妙と為。

又云う、止斎が曰く結尾は正に関鎖の地、尤も語を造ること精密文を遣ること順快を要す。蓋し精密なれば則ち文外の意有り。順快なれば則ち之を読みて余味有り。欧陽起鳴に云う。結尾或いは先に褒すれば後に貶し或いは先に抑えれば後に揚ぐ。或いは短中に長を求め、

或いは衆中に一を拈す。或いは冷語を以て結び、或いは経句を以て結す。但し末梢の分叢最も軟弱を嫌う。更に須らく百尺竿頭に復一歩を進むべし。

※関鎖:「しまり」とルビあり(長周叢書・三坂圭治文庫版)
※百尺竿頭に復一歩を進むべし。:禅語。百尺竿の上のような高さの境地に至ってもさらに一歩進めて高みを望む志を説いている。

文筌結尾の九法

 問答 問答の起は折伏して之を終える。
 張大 題の約なる者は張りて之を大にす。
 収斂 題の侈なるものは収めて之を斂む。
 会理 規歩矩行確然たる正理。
 叙事 叙事の起は叙事に之を終える。
 設事 設事の起は設事に之を終える。
 攄情 其の至情を攄て以て不尽の意を終える。
 要終 事の終を要して以て篇意を結す。
 歌頌 或いは乱辞を為し或いは歌詩を為す。
    (本篇、本賦為る法。然れども諸体通用すべし)

※攄:のべる


 章法

劉勰曰く、情を設るに宅有り。言を置くに位有り。情を宅ておくを章と曰い、言を位するを句と曰う。故に章は明らか也。句は局なり。

夫れ人の言を立つる字に因りて句を生ず。句を積みて章を成し、章を積みて篇を成す也。

 篇中言んと欲する事條路を分って言下すに一條の事数句を積て明かに言い取る。是一章なり。数十句の大章あり。ニ三句の小章あり。上に大章あれば、下亦大章を以て対応するあり。或いは上に長章ありて文勢緩なれば下短章を以て急に摂収するあり。変化無窮を貴ぶ。

文章規範等を見て悟るべし。今此れに粗ニ三の例を挙ぐ。

左伝隠公苟くも明信あらば澗渓沼沚の毛、蘋蘩繁薀藻の菜、筐筥リ釜の器、潢汙行潦の水、鬼神に薦むべし王公に羞ずべし。而して況や君子二国の信を結び、之を行うに礼を以てせばまた焉質を用いん。

※蘋:ヒン、ビン、うきくさ
※潢汙:こうお。潢汚。たまり水
※焉:エン いずくんぞ


荘子繕性世、道を喪う。世、道を失う。世、道と交々相喪わる也。道の人に何に由りてか世を興さん。世、亦何に由りてか道を興さん哉。道以て世を興すこと無く、世以て道を興すこと無し。聖人、山林の中に在らずと雖も其の徳隠る。隠る故に自ら隠れず。
繋辞、夫れ易は聖人の深を極めて幾を研ぐ所以也。故に能く天下の志を通ずは唯幾也。故に能く天下の務めを成すは唯神也、故に疾からずじて、速やかに行かずして至る。

※深:底本では古字。

 右の類、整語、散語、参錯して章を成す。古書類多し。悉く挙げず。又、一類の字を用い排比して小を成す者あり。

※参錯:入り混じること。
※排比:双方並べるの意。並べることか。

繋辞に富有、之を大業と言う。日新、之を盛徳という。生生、之を易と言う。成象、之を乾と言う。效法、之を坤と言う。数を極め来を知る、之を占と言う。変に通ずる、之を事と言う。陰陽不測、之を神と言う。

※富有之謂大業、日新之謂盛徳:易経繋辞伝上5


考工、脰を以て鳴く者、注を以て鳴く者、旁を以て鳴く者、翼を以て鳴く者、股を以て鳴く者、胸を以て鳴く者を記す。

※脰:トク、うなじ
※胸:長周叢書では作りと偏が上下。心の意か。


荘子の除無鬼篇に、吾之と與に天に楽を邀める。吾之と與に地に食を邀める。吾之と與に事を為さず、之と與に謀を為さず、物を以て之と與に相攖をせず。吾之と與に一に委虵して、之と與に今に事の宜しき所を為さざる也。然れども、世俗の償い有り。

※除無鬼篇:荘子の除無鬼篇
※吾与之邀楽於天:荘子の除無鬼篇中の文章
※邀:むかえる。もとめる。
※攖:ふれる、せまる、つなぐ、みだす。
※委虵:委蛇のことと思われる。ゆったりと落ち着いたさま。


 右古書の中類多く枚挙せず。又交錯して章を成すもの有り。

荘子指を以て指の指に非ざるに喩んより、指に非ざるを以て指の指に非ざるを以てするに若かざるなり。
荀子、利せずして之を利するは、利して後之を利するの利なるに如かず。利して後之を利すれば、利して利せざる者の利なるに如かず。

 右荘子の中、類多し。他書にも亦間間之有り。枚挙せず。

以上句法、一定するは其の法見易し。長短句参差として章を成す者に至りては其の法を著し難し。今規範の中ニ三章を摘みて例を示す。学者当に博く本篇を捜り其の法則を知るべし。

※参差:しんしと読む。長短バラバラな様。互いに入り混じる様。並び続く様。

韓子が書、古の人三月仕えざれば則ち弔す。故に彊を出れば必ず質を載す。然れども自ら進むに重くする所以は其の周に於いて不可なれば則ち去りて魯に之き、(此の句八字)魯に於いて不可なれば則ち去りて齊に之き、(此の句八字)齊に於いて不可なれば則ち去りて宋に之き、鄭に之き、秦に之き、楚に之くを以て也。(此の句十五字)又憎縁するところ有りと雖も、苟しくも其の死を欲っするに至らざるは、則ち将に狂奔して気を尽くし(句法)手足を濡らし(句法)毛髪を焦がす。(句法)之を救いて辞せざらんとすべきなり。(収法)かくの如きは何ぞや。其の勢誠に急にして、其の情誠に悲しむべきなれば也。(章法)


又序之と與に道理を語り(三字句)古今の事の当否を弁じ(六字句)人の高下を論ずれば(四字句)事後当に成敗すべきを(五字句)河の決して下流して東に注ぐが若く、駟馬軽車に駕し熟路に就き、而して王良造父之が先後を為すが若く也。(一句長、二句に似て一句を為す)燭照らし数計えて亀卜するが若し。(一句短)
張文潜云う。七月の詩、七月以下皆道破せず。十月に至りて方めて蟋蟀を言う。文章に深き者に非ずんば能く之を為さんや。

※蟋:シツ、シチ
※蟀:シュツ、シュチ


 句法

按ずるに句法は四字を以て本と為す。自然の語勢なり。而も一字の句有り。ニ三字の句有り。七八字より数十字に至る句者有り。司馬子長一ニ百句を一句と為す者有り。才子筆端の変化定格を為し難し。今ニ三例を挙げて以て榜様と為す。

檀弓、孔子先に反る。門人後る。雨甚だし(ニ字句)至る(一字句)孔子問いて曰く爾来ること何ぞ遅きや。
又曰く防の墓崩る。孔子応へず。三たびす。(一字句)孔子泫然として涕を流して曰く

※又曰く防の墓崩る・・・:礼記檀弓篇上第三

荘子田子方、顔淵曰く文王は其の猶未邪 又何 夢を以て為さんや。仲尼曰く、黙せ(一字句)汝言う無かれ。

※荘子田子方:荘子の田子方篇

又人間世匠石曰く、蜜せよ(一字句)若ぢ言う無かれ。

※人間世:荘子人間世篇

孟子井を浚うせしむ。出づ。(一字句)従いて之を揜う。

※孟子使浚井:孟子万章章句上篇
※浚:ふこう?
※揜:おおう

又曰く。干戈は。(ニ字句)朕れ(一字句)琴は(一字句)朕れ(一字句)弤は(一字句)朕れ(一字句)
文則云う。檀弓長句の法○人をして夫の情を以てせずして瘠に居る者を疑は使むること毋んや。○孰れか親の喪を執て沐浴して玉を珮びる者有らんや。○簣尚は杞梁が妻の礼を知るに如かず○苟くも礼儀忠信誠愨の心無くして以て之に蒞まば。○短句の法○華して皖らか(三字)○孫を立つ(二字)畏れ、厭い、溺れ(一字)

※珮:おびる
※杞:長周叢書では己ではなく巳
※蒞:のぞむ
※皖:春秋時代の国名。皓(きよい)の間違いか?

左伝長句の法、夫れ固より君衆を訓て好く之を鎮撫し、諸司を召して之を勧むるに令徳を以てし模倣を見て諸天の易きに假らざるを告げんと謂えり。(桓十三年伝)○天或いは其の心を逞して以て其の毒をして之に罰を降さんと欲するも未だ知るべからず。(昭四年伝)
荀子長句正名編、凡そ邪説僻言の正道を離れて擅作する者、三惑に類せざるもの無し。

文章精義云う。司馬子長一二百句一句と作して下す。更に点し断たれず。退之三五十句一句と作して下す子瞻も亦然り。初め学び難からず。但し長句中意を転得し去る。若し一二百句三五十句只一句の事を得れば則ち冗なり。
陳揆文則。多く句法を挙す。此れに備載せず。本編を考うべし。
文章一貫曰く、長より短に入る者有り。短より長に入る者有り。長短錯綜する者有り。

※作:なす


作文初問 終