作文初問 長門縣孝孺撰
※縣孝孺:山縣周南のこと。
是れ韓柳以後の文法なり。此の文法を秦漢以上の古文に付会して論ずる者は非なり。経史諸子皆事を記し道を論ずるの書にて意達して止む。後世文人の詞藻を弄する類に非ず。故に古文は無法渾成自然の文字なり。事を叙で言を述る時は章句段落自然と其の中にあり。譬えば人一件の事状を口接するに源委巨細次を逐って説き下せば自然に條貫ありて分曉なるが如し。後の学者其の中に就て眼なれたる者を表出し条理して文法とす。故に其法亦定論なし。我悟る処を貴重して論説す文人の気習にて往々夸詡の言あり。眩惑すべからず。古人方を設けて文を作るに非ず。唐荊川曰、漢以前の文は未だ嘗て法無きはあらずして法無法の中に寓す。故に其の法たるや密にして窺うべからず。唐と近代の文は法無きことあたわずして有法を以て法と為すなり。厳にして犯すべからずと云えり。法無法の中に寓すといえば法を隠して手を見せぬように聞こゆれども、左にてはなし。古人は文法の沙汰はなしと心得べし。徂徠先生古文矩韓柳と于鱗との分を明かす。先秦以上の古文を蔽うにあらず。蒙士文を作るに法を論ずれば拘縛せられて悪し。大概一篇の起結首中尾段落等の工面をして凡そは心に任せて書くべきなり。
韓退之は務めて陳言を去るを功とせり。陳は陳腐なり。いかなる新奇の美言にても一たび人の口を経れば陳腐なり。人の陳腐を拾いて文を作るは卑しと思えるなり。檀弓孟子の文法を学んで文を作れども学びたりと見えず。自家渾成の文と見ゆるは語を剽窃せぬ故なり。陳言を去るとは古書の成言全句を用いぬなり。文字は皆経子史集古書に本據せり。然らざれば文典雅ならず、明の末袁中郎鍾伯敬など王李が古文を厭いて新奇の文を倡う。好んで六朝以後近俗の文字を用いたる故其の文軽膚繊弱なり。戒とすべし。韓柳と並称すれども柳子厚は間(まま)古人の成言全句を取用いて文を作れり。獻吉于鱗が開祖なり。然れども多く古語を用いれば反りて正気を累ぬと云えり。古語を用いて鋳鎔足らざれば支吾する処ありて全文渾成の気を傷う故なり。于鱗は好んで古人の成語全句を綴緝して文を作る。是は一意に高古を貴ぶ故古語を解析すれば古気を傷んことを恐るるなり。汪伯玉亦多く全語を用う。元美は章法句法をば模すれども全語をば用いず。其の文于鱗に比すれば才余り有。而して時に巧に傷られ古に専ならず。獻吉が集を検するに其の集の自序、全く左伝季札観楽の段を学べり。是于鱗が興起する所なり。其の佗の篇は四字の句多く、文簡潔なれども間斉梁の語あり。古雅に専らならず。李何が復古の功は専ら詩にあり。文章は王李に至りて明の古文成れり。 文章古今の変を観て高下気象の雅俗を知り文を作る標準を立つべし。先秦の古文は文章の本なれば論ぜず。漢は西京を盛とす。南北隋唐に下りて衰ふ。韓柳古文を倡えて唐の文興る。宋元明に下りて衰えて王李之を興す。是古今の変なり。漢の文、斉梁の文、韓柳の文、宋元の文、王李が文、各十篇ばかり抽出して体製辞藻を熟覧せば其の変判然として見ゆべきなり。漢の文は古文に比すれば漸く儷語多し。 其の辞古質樸茂なり。其の中史選は儷語少なし。六朝に下りては対偶の法甚だ巧にして其の辞縟麗を尚ぶ。婦女の体質は弱くして鉛粉の粧盛なるが如し。韓柳偶対を去り鉛華を削り義理を主しし孟子の体を学んで古文を倡う。六朝の弊一洗す。韓柳六朝の辞勝に懲りて鉛華を削り、義理明暢を尚ぶ。其の流宋元に至りては、理勝て辞修せず。辞を修めざれば必ず鄙俚に落つ。義理明暢を尚んで辞猥雑とる故其の文冗長なり。于鱗此弊を矯めんとす。韓柳再びずべからず。唐を鍮漢を越えて、左伝、史遷を主とし先秦以上の古文を宋元理勝の文に懲りて専ら修辞を尚ぶ。元美伯玉を羽翼とす。是明の古文なり。 ※樸茂:飾り気が無く人情に厚い。樸淳。樸厚。
此の方の学者助字を大小大事として難ずるは助字に和訓なき故なり、字書に的当の訓詁なければ訓なきに因りて難んぜば華人も同じことなり。されど彼の方に助字の難易を論じたる事を見ず。柳子厚人に助字を教えて歟邪哉夫は疑辞なり、矣耳焉也は決する辞なりと計り言いて其の他備具せず。漢文の助辞は此方のてにをはの如し。助字なくても上下の文を通じて心を以て推して読めば義通ずることなれば大概右の様に心得てすむことなる故なり。俗諺に焉矣也乎哉用い得る的の好秀才と云うも旦旦助字などをば弁え知る程の才子と云うことなり。難んずる言に非ず。韓柳以後は文法体制大概一定せる故助字の置所又用うべき字も一定して知り易し。古文は然らず。南郭文筌小言に論列せり。考えて知るべし。凡そ助字の用、辞句不足なる故助字を添えて語勢を整えるもあり。字孑孤なる故なる故助字を副えて輔るもあり。或いは整斉畳復する故助字を挿んで語勢を緩むるもあり。助字を去りて義に害なきもあり。助字を得て義理深くなるもあり。又平字用うべき処に也字を用い、之字用うべき処に而字ある類、交換通用せるも皆語勢に因りて転ずるなり。此の類は上下の文を推して通ずるなれば、今文の使用より見れば唯語勢を助けて定義なきに似たり。又詩経助字多く意義なし。猶蘇調の侯兮、今時の歌曲哪哩の類以て声調を成すがごとし。巳故に註家亦解釈無し。設如後世助字の法を以て其の義を考究せんと欲せば、則ち風を捕え影を繋ぐなり。詩は歌詠の辞。其の文固に佗書と殊なり。然れども以て助字の用を概すべし。又古文には必ず有るべき処に助字なく有るまじき処に助字有るもあり。心を注て見るべし、助字少なき文は整斉簡潔なり。助字多き文は婉曲優美なり。書経・漢書は助字少なく左国遷史は助字多し。 論語孟子は助字多く荀子は少なし。老列は少なく、荘子には多し。一書の内にても篇体に因りて多少あり。一人の作にても文体に因りて多少あり。凡そ助字字義を以て求めては知りがたし。博く古人の用処を見て変化を知るべし。自然と難事に非ることを知るべし。 ※乎歟邪哉:助字(助字(助辞・助語とも書す)主としては也・矣・耳・已・乎・歟・邪・等であるが、尤・最・即・則・乃・等の副詞接 続詞及び是斯等の代名詞をも含み、甚だしきは至・到・臻・等の如き動詞をも含んで居る。) ※孑孤:(けっこ)「ひとり」の意 欧陽永叔、多く書を読めば自ずから文を能くすと云えり。泛然と博く書を読めと云うには非ず。文章に益ある書を混読に読めば心目、文に熟して自然と文章を喩ると云うことなり。唐明四家の集常に身を離さずして熟読すべし。然らざれば古辞を多く記憶しても篇章の結撰泥むなり。 ※泛然:「バット」というルビあり。(長周叢書・三坂圭治文庫版) 劉勰曰く六経は天地に象り、鬼神に效い、物序に参わり、人紀を制し、性霊の奥区を洞かにし、文章の骨髄を極るものなり。論説辞序は則ち易、その首を統べ、詔策章奏は則ち書、其の源を発し、賦頌歌賛は則ち詩、其の本を立て、銘誄箴祝は則ち礼、其の端を総べ、紀伝銘檄は則ち春秋(此左伝を指す)根たり。百家騰躍すれども終に環内に入る。故に文能く経を宗とすれば六善あり。焉情深くして詭らず、一なり。風清くして雑ならず、二なり。事信にして誕ず、三なり。義直にして回らず、四なり。体約にして蕪ならず、五なり。文麗にして淫せず、六なり。 ※劉勰:りゅうきょう、六朝末期の梁の国の人。字は彦和 文学理論を組織立てた。「文心雕竜」の著がある。 柳子厚曰く、先ず六経を読む。次いで論語、孟軻の書。皆経言なり。左氏、国語、荘周、屈原之辞稍之を采取せよ。 ※稍:ショウ、やや、すこしづつ、だんだん
李塗曰く荘子が文章善く虚を用う。其の虚を以てして天下の実を虚にす。太史公文字善く実を用う。其の実を以ってして天下の虚を実にす。(宋人作文章精義) 王元美曰く、檀弓、考工記、孟子、左氏、戦国策、司馬遷は文に聖なる者か。其の叙事は則ち化工の肖物なり。班子は文に賢なる者か。 人巧極まり天工錯れり。荘子、列子、楞厳、維摩詰、文に鬼神なるものか。其の達見、峡決して河潰すなり。窃冥変幻して其の端倪を知ることなきなり。 ※考工記:古代における兵器や楽器等の作りかたがかいてある書。 孝孺按ずるに楞厳、維摩達見峡決は則ち之あらん。其の文豈屈荘が之倫ならん。元美此の心有る故に其の文古に純ならず。又能く筆を下して縦横、禦げなし。 ※禦:さまたげか。 凡そ文章経に元づくこと劉勰が前の論に云えり。されども荘子屈子が跌宕奇譎の思い、窃冥変幻の風調なければ文章闒靸萎薾するなり。 譬ば屈子が漁父の辞に漁父莞爾として笑う、竄鼓して去ると云い棄てて繋著なき所極めて面白し、蘇子瞻是に本づいて赤壁賦に鶴を夢見ることを云えり。窃冥変幻屈子が上に出たり這等の逸調詔策経議等の文には用られず。されど文士の胸此奇思逸調無れば文委靡するなり。詩に経語を忌む心にて文章も理学に濡首する経生は風雅の思致なくして拙き者なり。 麗澤文説に云う。文に三等有り。上は鋒を蔵して露さず。之を読めば自ずから滋味有り。中は歩驟馳騁沙を飛ばし、石を走るに用意庸常専ら造語を事とす。 初学の者は中等を心がくべし。上等を学ばば下等に落ちるべし。東坡文を作りて命意に工なり。必ず超然として衆人の上に立す。と云えり。題に向きて先ず主意を得んと吟味すべし。趣向庸常なれば造語よくても下等に落つ。超然と高くとびぬけたる工夫なければ凡庸を得離れず。 王維髷Hく、文章の体ニつ有り。序事議論相淆ぜず。蓋し人々能言う。然れども此れ宋人創りて之を為る。宋の眞徳秀古人の文を読みて自ら所見を列し岐けてニ途と為る。夫文体区別すること古より誠に之有り。然れども岐て別にするべからざるもの有り。老子、伯夷、屈原、菅仲、公孫弘、鄭荘等の伝及び儒林伝等の序の如き、此れ皆既に其の事を述し、又其の義を発す。言の弁なる者を観るは以て議論と為して可也。実の具わる者を観るは以て叙事と為して可也。変化、離合、物に名づくべからず。龍騰鳳躍韁鎖すべからざる文にして、是に至りて遷史と雖も其の然ることを知らず。晋人劉勰文を論ずること備われり。條中鎔裁するもの有るとは正に此を言う耳。夫れ、金錫和せざれば器を為さず。事詞会せざれば文を為さず。其の致りは一也。 按ずるに文筌に叙事、議論、辞令、三体と為す。詔誥教誓祝盟啓簡の類いを以て辞令と為す。 徂徠先生曰く文章の道達意(論語)修辞(易伝)の二派聖言自ずから発す。其の実は二つの者、相須らく修辞に非ざれば則ち意則ち達することを得ず。三代の時二派未だ嘗て分裂せず。然れども亦各主とする所有り。孟荀老列韓賈遷固は達意を主とする者なり。左國荘騒相如楊雄は修辞を主とする者なり。東京は修辞に偏なり。而して達意の一派寥寥たり。六朝の浮靡唐に至りて極まる。故に韓柳達意を以て之を振るう。宇宙一新す。然れども韓柳は諸を古に求める故に振るう。欧蘇諸を韓柳に求める故に又衰う。降りて元明に至り文皆語録中の語助字別に一法を作し夐に上古と合せず。古今の間遂に一代鴻溝を成す。故に李王修辞を以てす。之を振るう、一に古を以て則と為す。大豪傑と言うべし。(訳筌題言) ※()内、小文字 愚、五経は義理の府、菁華藪と言う 欧陽永叔曰く文字佗の術無し。惟書を読むこと多ければ則ち之を為して自ずから工なり。人の患いは、書を読むに懶なると、又文字を作ること少なきと、一篇出る毎に即ち人に過ぎんことを求むるとに在り。此の如くして至ること有る者少なし。(文章辮体) 文を作るに始めより善く作らん、人に勝らんと思えば却りて渋泥して文才を傷う。志をば高くして工をば易く心得べきなり。 文法を看る。 第一 大概の主張を看る。(是の主意は如何) 。 愚是則ち文法と言う。 ※闔:コウ、とびら 程子曰く孟子は議論に善し。先ず其の綱を提て、後詳らかに是を説く。只是れ見識高し。胸中より流出す辮論盤根錯節の只譬喩を以て軽軽に解破する。(性理大全)王維髷Hく古今文章家奇響を擅にする者六家、左氏の文は以て葩にして奇。荘子の文は以て玄にして奇。屈原の文は以て幽にして奇。戦国策の文は以て雄にして奇。太史公の文は憤にして奇。孟堅の文は以て整にして奇。皇宋類苑云う、文章人品と同じ。古より大聖大賢英雄器量有る者にあらざれば至る能わざるなり。英雄の気天地を擔負す。英雄の量古今を包含す。天地の至重を擔負し古今を包含して余り有らば天下の道徳を立てて天下の事業を成すとも不可なること無きが如し。況や区々たる古文にして高からざる者有らんや。蘇伯衡が曰く、凡そ題目に遇はば、須らく先ず意を命ずべし。大意既に立たば又須らく如何起こし、如何承接し、如何収拾せんとすべし。之れ、布置と言う。又曰く筆を下すの時且つ須らく専心冥思すべし。一篇の大概已に胸中に具わりて方に辞を措くべし。若し段を逐いて句を逐て之を為すは則ち文為る所以に有らず。 篇法 緯文瑣語と云い、篇中冗章有るべからず、章中冗句有るべからず、句中冗字有るべからず。(文章一貫)
文章精義に云う。文字須らく数行斉整なる処、数行斉整ならざる処を要すべし。意、対する処は文却て必ずしも対せず。意、必ずしも対せざるは、却りて著対す。 斉整は対偶を指す。古文の対語は語勢対して字必ずしも対せず。句中の助文も参差たり。対偶堅ければ時文に落ちて鄙し。古書の対法 に心を付けて見るべし。 ※参差:「そろわず」というルビあり。
文字終篇主意を見ずして結句主意を見るものあり。過秦論、仁義施さずして攻守の勢い異なればなり。 ※過秦論:漢初、賈誼(かぎ)著。秦の過ちを論じながら、中国統一の方法についてのべる。封建制と中央集権制の優劣を主な論点とする。 史記終篇、惟他人の説を作し、末後に自己只一句を説く。子瞻表忠観碑の類是なり。(文章精義) 昌黎、李愿の盤谷に帰るを送るの序、終篇全く愿が説話を挙げ、只数語其の實愿が言にあらず。此れ又別に是れ一格式(文章精義) 捫蝨詩話に云う。文を為すには常山の蛇勢を知らんことを要す。 即ち孫子首尾共に至るの説最初当の論なり。 ※捫蝨:もんしつ 王世貞曰く首尾開闔繁簡奇正各其の度を極むるは篇法なり。抑揚、頓挫、長短、節奏各々其の致りを極むるは句法なり。点綴関鍵金石綺綵各其の造を極むるは字法なり。篇に百尺の錦あり。句に千鈞の弩、字に百錬の金あり。 文筌文章の体六節 起 明切人の眉目有るが如きを貴ぶ。 (篇の首、発端なり) 結 緊快人の手足有るが如きを貴ぶ。 篇の尾、桔段なり 右六節大小諸文体中皆之を用う。然れども或いは其のニを用い其の三、四を用う。宜に随いて増減すべし。有れば則ち是を用い、無ければ則ち之を已む。其の間起結の二字則ち必ず無きは有るべからざる者也。起結の二法作文家にありて最も難事と為す。須らく韓柳ニ家の諸体文字を将て帰結を摘出し其の変化の手段を見るべし。当に之に自得すべし。言伝すべきに非ざる也。 ※将て:もって 文章一貫起端の八法 問答 問答を設け為して以て端を発す。 ※頌美:しょうび 欧陽起鳴云う。鋪叙は豊贍を要す。文字直致して委曲無からんことを最も怕る。 ※贍:せん 麗澤文説云う。文字を看るは須らく佗の過換及び過接の処を看んことを要すべし。 又云う、止斎が曰く結尾は正に関鎖の地、尤も語を造ること精密文を遣ること順快を要す。蓋し精密なれば則ち文外の意有り。順快なれば則ち之を読みて余味有り。欧陽起鳴に云う。結尾或いは先に褒すれば後に貶し或いは先に抑えれば後に揚ぐ。或いは短中に長を求め、 或いは衆中に一を拈す。或いは冷語を以て結び、或いは経句を以て結す。但し末梢の分叢最も軟弱を嫌う。更に須らく百尺竿頭に復一歩を進むべし。 ※関鎖:「しまり」とルビあり(長周叢書・三坂圭治文庫版) 文筌結尾の九法 問答 問答の起は折伏して之を終える。 ※攄:のべる
劉勰曰く、情を設るに宅有り。言を置くに位有り。情を宅ておくを章と曰い、言を位するを句と曰う。故に章は明らか也。句は局なり。 夫れ人の言を立つる字に因りて句を生ず。句を積みて章を成し、章を積みて篇を成す也。 篇中言んと欲する事條路を分って言下すに一條の事数句を積て明かに言い取る。是一章なり。数十句の大章あり。ニ三句の小章あり。上に大章あれば、下亦大章を以て対応するあり。或いは上に長章ありて文勢緩なれば下短章を以て急に摂収するあり。変化無窮を貴ぶ。 文章規範等を見て悟るべし。今此れに粗ニ三の例を挙ぐ。 左伝隠公苟くも明信あらば澗渓沼沚の毛、蘋蘩繁薀藻の菜、筐筥リ釜の器、潢汙行潦の水、鬼神に薦むべし王公に羞ずべし。而して況や君子二国の信を結び、之を行うに礼を以てせばまた焉質を用いん。 ※蘋:ヒン、ビン、うきくさ
※深:底本では古字。 右の類、整語、散語、参錯して章を成す。古書類多し。悉く挙げず。又、一類の字を用い排比して小を成す者あり。 ※参錯:入り混じること。 繋辞に富有、之を大業と言う。日新、之を盛徳という。生生、之を易と言う。成象、之を乾と言う。效法、之を坤と言う。数を極め来を知る、之を占と言う。変に通ずる、之を事と言う。陰陽不測、之を神と言う。 ※富有之謂大業、日新之謂盛徳:易経繋辞伝上5
※脰:トク、うなじ
※除無鬼篇:荘子の除無鬼篇
荘子指を以て指の指に非ざるに喩んより、指に非ざるを以て指の指に非ざるを以てするに若かざるなり。 右荘子の中、類多し。他書にも亦間間之有り。枚挙せず。 以上句法、一定するは其の法見易し。長短句参差として章を成す者に至りては其の法を著し難し。今規範の中ニ三章を摘みて例を示す。学者当に博く本篇を捜り其の法則を知るべし。 ※参差:しんしと読む。長短バラバラな様。互いに入り混じる様。並び続く様。 韓子が書、古の人三月仕えざれば則ち弔す。故に彊を出れば必ず質を載す。然れども自ら進むに重くする所以は其の周に於いて不可なれば則ち去りて魯に之き、(此の句八字)魯に於いて不可なれば則ち去りて齊に之き、(此の句八字)齊に於いて不可なれば則ち去りて宋に之き、鄭に之き、秦に之き、楚に之くを以て也。(此の句十五字)又憎縁するところ有りと雖も、苟しくも其の死を欲っするに至らざるは、則ち将に狂奔して気を尽くし(句法)手足を濡らし(句法)毛髪を焦がす。(句法)之を救いて辞せざらんとすべきなり。(収法)かくの如きは何ぞや。其の勢誠に急にして、其の情誠に悲しむべきなれば也。(章法)
※蟋:シツ、シチ
按ずるに句法は四字を以て本と為す。自然の語勢なり。而も一字の句有り。ニ三字の句有り。七八字より数十字に至る句者有り。司馬子長一ニ百句を一句と為す者有り。才子筆端の変化定格を為し難し。今ニ三例を挙げて以て榜様と為す。 檀弓、孔子先に反る。門人後る。雨甚だし(ニ字句)至る(一字句)孔子問いて曰く爾来ること何ぞ遅きや。 ※又曰く防の墓崩る・・・:礼記檀弓篇上第三 荘子田子方、顔淵曰く文王は其の猶未邪 又何 夢を以て為さんや。仲尼曰く、黙せ(一字句)汝言う無かれ。 ※荘子田子方:荘子の田子方篇 又人間世匠石曰く、蜜せよ(一字句)若ぢ言う無かれ。 ※人間世:荘子人間世篇 孟子井を浚うせしむ。出づ。(一字句)従いて之を揜う。 ※孟子使浚井:孟子万章章句上篇 又曰く。干戈は。(ニ字句)朕れ(一字句)琴は(一字句)朕れ(一字句)弤は(一字句)朕れ(一字句) ※珮:おびる 左伝長句の法、夫れ固より君衆を訓て好く之を鎮撫し、諸司を召して之を勧むるに令徳を以てし模倣を見て諸天の易きに假らざるを告げんと謂えり。(桓十三年伝)○天或いは其の心を逞して以て其の毒をして之に罰を降さんと欲するも未だ知るべからず。(昭四年伝) 文章精義云う。司馬子長一二百句一句と作して下す。更に点し断たれず。退之三五十句一句と作して下す子瞻も亦然り。初め学び難からず。但し長句中意を転得し去る。若し一二百句三五十句只一句の事を得れば則ち冗なり。 ※作:なす
|