上杉鷹山宛瀧鶴台上書
(表紙) 治憲公へ 畏天命 滝弥八先生 (表紙裏) 于時明和六年冬十一月五日 当綱謹書
天命を畏る 聖人の道は、天命を敬うを第一義と仕候。善を作せば福を降し悪を作せば禍を降す。吉凶禍福の相応ずること形に影あり声に響あるが如し。天に耳目なし。諸人の耳目を以て天の耳目とす。いみじき福分を生まれ付きたる人も、人心に背き天道に違う事をすれば、勿ち福心尽きて禍を蒙り、また貧窮に生れ付たる人も天心に叶い人心の悦ぶ事をすれば、勿ち苦難を免れ福徳を得る故に天命靡常と云へり。古より天下を失い国家を亡ぼすは、皆天命を畏れず人望に背く故なり。天下を有(たも)ち国家を興すは皆天道に叶う故なり。近く信長、太閤、東照宮の御事にて鑑み明らかなり。然れば身の栄え、家の栄え、子孫の栄を祈らんとならば、常に天命を畏れ敬い給うべし。毛利元就は壮年の時より毎朝身がらを清浄にして日の出ずるを拝し、老年まで怠らざる由子息達への遺誡に書かれたり。敬天の意なるべし。
仁は民を安んじ民の父母たるを云い、依とは離れぬをいう。その心常に安民の徳に住し、世を輔け人の為になり、諸人を子の如く思い、民の親たる心を離れず万づの所作行い、此心を本として行うを「仁に依る」と云う。是孔子第一の教なり。仁は人に君たるの徳なり。仁徳なくては仁君とは言い難し。故に君子仁を去て悪くにか名を成さんと云えり。諸侯は一国の父母なれば国中の士民を我が子と思し召し。苦にし世話にして何とぞ士民を安穏ならしめんと御心を尽され御政道を取行わせ給うこと、天に仕え給う道なり。 士民を安穏ならしむる事も、国用不足にては心に任せず。故に仁政は国を富ますを本とす。国を富ますは倹素を尚ぶを本とす。富国とは上の御蔵に米金を積み貯るに非ず。国中の市民豊饒にて金銀米穀国中に沢山に、庶民飢寒の愁なきを云うなり。国中に有る物は御蔵に有るも同じ事なり。上の人奢りて費用多ければ、已む事を得ず家中農商をせさせ国中貧乏になる故、人君華奢を戒め、無益の費を省き、倹素質朴なるを冨国の本とす。近年御倹約質素を専らに遊ばされ、当時の諸侯方には類希なる御身持感入奉り候。御国にてもいよいよ御倹約遊ばされ候事第一の御儀と存じ奉り候。法度号令のみにては人心帰服仕らず、人君の身に行わせ給う事は。下々まで速やかに感化仕る事に候えば、只今の分の御行規を堅くお立て通し遊ばされば格別の仰せ聞かされは之れなくとも、近年の内御家中末々まで倹朴の風俗に自から相成り、冨国の根源此の上も之れなき御事、益々御精力を励まれるべく候。 古今に通ぜざれば今を知る事能わず。書経の巻首、稽古の字を第一義とするも此事なり。左国史漢通鑑の類は、追々御覧遊ばされ候。本朝の記録、第一に御家の旧記留書等委しく御覧遊ばさるべく候。是又御急務に候。和書は、保元、平治、東鑑の類より、信長、太閤の記、将軍家譜、御当代は武徳編年武徳安民記、四戦記聞、武家盛衰記東武国朝記の類色々之あり御慰みに御覧遊ばさるべく候。是古今に通ずの学問にて御座候。東涯制度通、甚だ宜しき書に御座候。
|